松山バッハ合唱団
Bachchor Matsuyama

フライブルク・松山両バッハ合唱団交流記録(1989 -)

ハンス・ミヒャエル・ボイァーレ(Hans Michael Beuerle)氏の訃報に接し、
謹んでお悔やみを申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。

フライブルクバッハ合唱団(Freiburger Bachchor)・管弦楽団芸術監督でいらっしゃったハンス・ミヒャエル・ボイァーレ(Hans Michael Beuerle)先生が2015年1月15日に逝去されました。(享年73才)
私たちとの20年に亘る音楽交流(フライブルク・松山姉妹都市交流演奏会)を主導・指揮してくださったボイァーレ先生の音楽表現は生き生きしていて、スケールが大きくドラマティックで、強い説得力を持っているので、私たち合唱団のみならず、ソリスト、オーケストラ、聴衆、その時と場所を共有するすべての人が、音楽する、また聴く喜びと大きな感動に包まれたのでした。それはボイァーレ先生の大きな愛から生じるもので、音楽とは、また愛とは何たるかを教えていただいたことに心から感謝申し上げたいと思います。もうそんな体験ができなくなると思うと、本当に大きな存在を失ったものと悔やまれます。ご家族の皆様に衷心よりお悔やみ申し上げるとともに、偉大なマエストロのご冥福をお祈りいたします。

松山バッハ合唱団一同

交流記録

2014年6月15日
松山・フライブルク姉妹都市交流提携調印25周年記念&松山・フライブルク両バッハ合唱団交流20周年記念第五回姉妹都市交流演奏会(通算10回目)を開催
(於松山市民会館大ホール)
  • 演奏曲目 ヘンデル作曲『メサイア』(全曲)
2013年10月19日
松山・フライブルク姉妹都市交流提携調印25周年記念姉妹都市交流演奏会(通算9回目)の交流演奏会を開催し、J. S. バッハ作曲「ロ短調ミサ曲」を演奏。
(於フライブルク市コンツェルトハウス)
2010年10月
フライブルクにて通算8回目の交流演奏会を開催し、メンデルスゾーン作曲交響曲第2番『賛歌』、詩編42、Kyrieニ短調の3曲を演奏。好評を得る。
(於フライブルク市コンサートホール)
  • 今回は、松山から21名、イタリアからパドヴァ音楽大学室内合唱団29名が参加し、3姉妹都市合同の演奏会となった。
2007年11月
フライブルクにて、フライブルク市の姉妹都市10都市の友好合唱団合同で、ベートーヴェン作曲交響曲第9番『第九』を演奏。
  • 松山から5名参加。通算7回目。
2007年6月
第四回姉妹都市交流演奏会を開催
 (於:松山市民会館大ホール)
  • 指揮者のH. M. Beuerle氏ご夫妻およびフライブルクバッハ合唱団員52名が来日、バッハ作曲『マタイ受難曲』の演奏に参加。
  • 松山市長を表敬訪問。
  • 28名のホームステイを受け入れ対応。
  • 『野点』、『和楽器演奏』で歓迎。
2004年11月
フライブルクにて通算5回目の交流演奏会を開催し、ブラームス作曲『ドイツレクイエム』を合同演奏。好評を得る。
  • 松山からオーケストラを含め35名が演奏に参加。フライブルク市庁を表敬訪問。
2002年5月
第三回姉妹都市交流演奏会を開催
 (於:松山市民会館大ホール/広島世界平和記念聖堂)
  • 指揮者のH. M. Beuerle氏ご夫妻およびフライブルクバッハ合唱団員73名が来日、バッハ作曲『ロ短調ミサ』の演奏に参加。
  • 松山市長を表敬訪問。
  • 42名のホームステイを受け入れ対応。
  • 『能教室』開催 (喜多流能楽師 重要無形文化財 金子匡一師)
2002年4月
フライブルク市訪松団の歓迎会にて歓迎演奏を行う。
2000年11月
フライブルクでの両バッハ合唱団合同演奏会開催
 (於:フライブルクコンサートホール)
  • 松山から24名が演奏に参加し、メンデルスゾーン作曲『エリア』を合同演奏。
  • フライブルク市庁を表敬訪問。
  • ベーメ市長から感謝の書簡を受領。
1999年10月
松山バッハ合唱団員のフライブルクバッハ合唱団への留学開始
1998年4月
第二回姉妹都市交流演奏会を開催
 (於:松山市民会館大ホール/宇和島市南予文化会館)
  • 指揮者のH. M. Beuerle氏夫妻およびフライブルクバッハ合唱団員9名がともに、バッハ作曲『ヨハネ受難曲』の演奏に参加。
  • 交流行事 - 松山市長表敬訪問
         - 団員9名のホームステイによる個人交流
  • 2000年11月のフライブルクでの交流演奏会および松山での第三回交流演奏会開催について基本合意。
1997年3月
松山バッハ合唱団主宰橋本がバッハ作曲『ヨハネ受難曲』勉強のためフライブルクを訪問。
  • ミュンスターで開催された同曲演奏会に出演し、第二回交流演奏会の詳細計画を合意
1996年11月
松山バッハ合唱団研修旅行
(フライブルクで開催された新バッハ協会主催の音楽祭『Bach Fest』への招待に応じ、団員および関係者9名が参加)
  • フライブルク市を表敬訪問し、音楽祭開会セレモニーで紹介される。
1995年6月
第一回姉妹都市交流演奏会を開催
 (於:松山市総合コミュニティセンターキャメリアホール)
  • 指揮者のH.M.Beuerle氏単身来日し、モーツァルト作曲『レクイエム』(R.Levin版)の日本初演を行う。
  • 交流行事 - 市長表敬訪問
         - フライブルク会主催昼食会
         - 愛媛大学教育学部音楽科永岡教室訪問
         - 喜多流能楽師金子匡一師訪問
  • 第二回交流演奏会の概要を決定
1994年10月
第一回姉妹都市交流演奏会開催計画が成立し、市民公募メンバーとともにモーツァルト作曲『レクイエム』(R. Levin版)の練習開始。
1994年2月
フライブルクバッハ合唱団音楽監督/指揮者H. M. Beuerle氏夫妻が来日し、両合唱団責任者による交流推進の合意が成立。
1993年8月
松山バッハ合唱団主宰橋本がフライブルクを訪問し、フライブルクバッハ合唱団事務局と両バッハ合唱団の交流推進について協議。(フライブルク松山会会長前田氏のご協力を得る)
1989年4月
松山・フライブルク姉妹都市調印ふれあいパーティに参加し、松山バッハ合唱団による歓迎演奏を行う。フライブルクバッハ合唱団関係者と懇談。

フライブルクバッハ合唱団の紹介

 フライブルクバッハ合唱団 (Freiburger Bachchor) は1943年 Theodor Egel 氏がフライブルク大学の学生を組織し、翌年3月にマタイ受難曲を演奏することによりその歩みをスタートさせました。厳しい練習を積み重ねて実力を蓄え、フライブルク地域はもとより、ドイツ国内の中心的な存在として成長し、ヨーロッパ各地やアメリカでも高い評価を受けました。1983年に39年間指導した T. Egel 氏の後を受けて Hans Michael Beuerle フライブルク音楽大学教授が音楽監督に就任し、幅広くバロックから現代に至るオラトリオ作品を取り上げることにより劇的な表現力が加わり、更にレベルが高められました。これまでにハイドンのオラトリオ『四季』やブラームスの『ドイツレクイエム』などのCDを出すなど、今やヨーロッパを代表する合唱団の一つとして幅広く活動しています。

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